instagram

yoshitaka.walk

新緑の鎌倉街道を歩く

義高ウォーク

清水冠者 源義高の想いを果たそう。

5月4日(みどりの日)

入間川(狭山市)から大蔵館跡(嵐山町)まで歩きます。

 840年前に入間川で起こった少年武将の悲話は地元の郷人によってづっと語り継がれてきました。

その清水冠者源義高の想いを果たそうと「義高ウォーク実行委員会」では、毎年54日に義高ウォークを開催しています。


主催:義高ウォーク実行委員会

後援:狭山市 狭山市教育委員会 狭山市観光協会

協賛:入間川総鎮守 八幡神社  市内企業  NPO法人 さやま環境市民ネットワーク

協力:狭山歴史クラブ


お知らせ

・2024.3.15  義高ウォーク ホームページを開設しました。

・2024.3.20 昨年のコースから2か所を変更しました。  

     ・2024.3.26  2024年ウォーキング地図を掲載しました。

・2024.3.5 ボランティア募集を掲載しました。

・2024.4.14  60年前の航空写真に今年コース変更した鳩山町内のルートを書き込みました。

・2024.4.14 関連イベントに狭山市広報4月号の転載をしました。 

・2024.4.15 紫と黄色のリストバンド 

・2024.4.26 関連イベント「郷土の歴史文化公演」は定員に達したため、申し込み受付を終了しました。

・2024.4.27 2024年のガイドブックを掲載しました。

・2024.4.27 義高ウォークのTシャツを作りました。


アイコンをタップ/クリックするとそれぞれのリンク先が表示されます。

参加申込

Google フォーム

ボランティア申込

Googleフォーム

ウォーキングマップ

Google マップ



第8回 義高ウォーク    2024年5月4日(みどりの日)

清水冠者源義高

木曽義仲の嫡男として生まれる。母親は巴御前とも、山吹御前とも言われるが確かな根拠はありません。木曽義仲が19の時の子で、生まれは木曽とも松本とも云われています。

人質として鎌倉へ

平安時代末期、平家追討の流れの中、源頼朝は源氏同志で覇権を争う行動を起こしました。従兄で若い木曽義仲はこれを冷静に受け止め、源頼朝との無用な戦を避けるために嫡男の清水冠者義高を人質として頼朝に差し出し、頼朝は娘の大姫の許嫁にしようと喜んで鎌倉に連れ帰りました。

義高と大姫

義高は11才で源頼朝の人質として鎌倉で大姫と仲睦まじく暮らしていました。

 

しかし翌年、木曽義仲は頼朝の軍勢に討れてしまい人質の意味が失われました。頼朝は義高が成長すれば自分が仇となって狙われると思い義高の殺害を決意しました。


入間川の悲劇

これを知った大姫は義高に逃げるよう奨め、頼朝に連れられてきた道を戻るように木曽義仲の生まれた武蔵嵐山にある大蔵館の方向に向かって逃げるが、頼朝の追手により入間河原で捕まり、寿永3年(1184年)426日斬首され、首は鎌倉に持ち帰られてしまいました。

清水八幡宮

12歳の少年義高は大人たちの勝手な都合で理不尽な生涯を終わりました。

 

一部始終を見ていた郷人たちにより遺骸が埋葬されその上に義母の北条政子は清水八幡宮を建てたと伝わります。

(清水八幡宮大祭 毎年5月第3土曜日)

影隠し地蔵

この悲劇は840年もの長きにわたり入間川の郷人によって語り継がれています

義高が、頼朝からの追っ手をやり過ごすため、一時的に地蔵堂の背後に身を隠したともいわれるお地蔵さまが影隠し地蔵です。